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福岡地方裁判所直方支部 昭和38年(ヨ)28号 判決 1965年2月17日

申請人 伊藤静男 外一四名

被申請人 山田硝子工業株式会社

主文

申請人等が被申請会社の従業員である地位を仮に定める。

被申請人は申請人等に対し昭和三八年一〇月二五日から同月三一日迄の別紙第一賃金債権目録記載の未払金員及び昭和三八年一一月一日以降本案判決確定に至る迄毎月翌月五日限り別紙第二賃金債権目録記載の割合による金員を支払え。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人等訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その申請の理由として、

一、被申請人(以下会社という)はガラス器具の製造販売、石油類及びプロパンガスの販売を業とする株式会社であつたが、昭和三八年一〇月一四日その営業目的中「ガラス器具の製造販売」を「ガラス器具の仕入販売」に変更し今日に至つている。会社は直方市大字植木四七六番地に本社、ガラス器具製造工場及びプロパンガス販売部を置き、その地続きの一画及び直方市貴船町に各一個のガソリン・スタンド施設を有している。

申請人等はいずれも会社の従業員で、申請人神代健太朗、同本山慶治はガラス吹工、同伊藤静雄、同高瀬欣市は火夫、その余の申請人等は雑役夫であり、かつ、いずれも直鞍地区一般合同労働組合(以下組合という)の組合員で、同組合山田ガラス分会に所属している。

二、会社は昭和三八年一〇月二五日付で右ガラス器具製造工場を閉鎖すると称して、同工場勤務の事務系統及び自動車運転手を除く全従業員三二名(うち当時組合員二四名)を解雇し、内容証明郵便で同月二七、八日頃各従業員に通知した。

三、しかし右工場閉鎖はもつぱら組合山田ガラス分会の壊滅を目的とし、会社による工場再開を予定した擬装工場閉鎖であり、かかる工場閉鎖を根拠とし、かつ、之と表裏一体の関係でなされた申請人等に対する右解雇は労働組合法第七条第一号及び第三号の禁止する不当労働行為として無効である。

仮りに右工場閉鎖が右の意味で擬装であるとまでは言えないとしても、それは組合山田ガラス分会の壊滅を目的としたもので、閉鎖後も名義変更などこそすれ非組合員や組合脱退者により実質的には会社による従来の経営形態と同一の工場経営を継続することを予定するものであるから、申請人等組合員をこの新経営の業務に従事させないためになした右解雇は前同様に不当労働行為を構成して無効である。

四、会社は工場閉鎖が緊急かつ止むを得ない程度に経営不振、財政困難に陥つてはいなかつた。

(1)  右ガラス工場は昭和二二年四月以来一六年の沿革を持ち、その間営業成績に波はありながらも全体的には採算のとれる事業として西日本一帯はもちろん東京方面まで確立した販路を有している。

(2)  飯塚市の合資会社中野製瓶所(従業員一五名位)は昭和三八年に入つてから木造バラツク建の工場を鉄骨の工場に建換え、石炭溶解炉を重油溶解炉に切換えて生産態勢を整備しており、北九州市八幡区の有限会社村上製瓶所(従業員一五名位)は最近も注文が殺到して残業につぐ残業で生産を上げておるなど同業者はガラス製造事業に対する旺盛な熱意を示している。

(3)  会社は昭和三八年二月従来の石炭溶解炉を廃止して、重油溶解炉を採用し、同年五月ガラス製品運搬用小型トラツク一台同年六月ガラス仕上摺盤を一台新規購入するなど、最近に至る迄営業継続の意図をはつきり示していた。

(4)  昭和三八年五月初旬ガラス製造工場の職長をしていた松村栄造が会社を辞めて久留米市の合名会社堤製瓶所に転職した後同年六月西日本ガラス工業会総会に於て、同会理事長をしていた会社々長山田堤は従業員引抜防止のための規則を提案し制定させたことがあり、同業者に対する強い競争心を示していた。

(5)  会社は経営困難を理由とするガラス工場経営改善のための具体的な措置や努力を何一つとしてしていない。

五、会社が工場閉鎖と解雇をするに至つた事情は次のとおりである。

(1)  組合山田ガラス分会は昭和三八年五月一八日結成されると共に従前の時間外、休日労働に対する割増賃金の不払い、有給休暇、生理休暇の未支給など前近代的な労働基準法違反の労働条件について会社を追及し、脱衣場、休憩所などの設置を要求し、組合切崩しのいやがらせに抗議して斗つた。労働基準法違反の賃金未払額は二年間で数百万円に及んでいたが、組合は中小企業の実態を配慮して組合員二六名全体で僅か五万円の一時金をもつて一応妥結した。しかし会社は脱衣場等の設置要求に対してはそのうちすると言ながら全く実行しなかつた。

(2)  組合は同年六月二八日から夏季期末手当要求の団体交渉に入り組合員一人当り一律参万五千円を要求したが、七月五日会社は零回答をよこした。そこで組合は七月一二日一時間の時限スト、同月一五日、一八日、一九日各二四時間ストを決行して会社の頑迷な態度に対し反省を促したが、之は会社始まつて以来はじめてのストライキ斗争であつた。同月二五日午後八時から団体交渉が再開され、翌二六日午前四時一五分徹夜の工場入口前道路上に於ける組合員の坐り込み斗争を背景として組合員一人一律六千円プラス一時金五百円をもつて妥結するに至つた。

(3)  組合はこの結果には大いに不満であつたから、来るべき賃上斗争の準備をはじめた。この賃上斗争をおそれた会社は一年一回ないし二回の溶解炉の改築期にさしかかつたにかかわらず改築をサボリ、生産低下を放置し、その責任を組合にあると宣伝し始めた。

(4)  会社は組合結成当初からその切崩しのため組合脱退工作、抱き込みなどを積極的に進めてきたが、遅くも八月初旬当時組合山田ガラス分会長であつた樋口実の抱き込みに成功し、右樋口を通じて組合員に対し一方で労資協調による工場再建を勧めながら他方でそれに応じなければ工場は閉鎖になり職人(吹工)だけを残して他は全員解雇になると脅かし、擬装工場閉鎖の意図を明らかにするに至つた。

(5)  前記山田社長は八月二〇日頃右工場内仕上場に於て、工場全従業員に対し訓示したが、その中で「現在かまも割れるし、能率が低下しているし、工場で本当に働いている人は一人か二人だ。工場もつぶす気だつたが、しかし樋口ともう一人が非常に心配して二回も三回も来た。そこで会社も考え直した。今工場をやめればあすから生活に困る人も出来て来るのでやるようにしたので一生懸命にやつてくれ。」と言い、組合の方針をゆがめながら、それが変らなければ工場を閉鎖することがある旨言明した。

(6)  八月三〇日組合は会社と賃上要求による第一回の団体交渉を持ち、その席上組合側が工場閉鎖や人員整理の意図の有無をただしたところ、山田社長は之を否定した。ところが九月四日の夜、右樋口宅に於て隣組(職人社宅のみで構成されている)常会に名を借り、工場長森勝利同席のもとに職人(吹工)のみで工場の将来をめぐつて話合いが行われ、職人が一致して工場再建のため協力するならばまず組合員を追い出す為一度工場閉鎖により全員解雇し、その後職人一同の名義で工場施設を月壱万円で賃借して生産を再開し、半製品を会社が買取つて仕上げ、販売に当ることもできるという提案がなされ、結局森工場長を通じてその旨社長に上申することになり、この結論に達したことに右樋口は大きな喜びと感謝の意を表明した。また九月五日か六日右樋口は組合員の高瀬アキヨに対し「工場を一時休業か廃止にし、俺に名義変更し、会社は仲買の立場に立つてやる。だから俺にまかせとけ。」と言い、また同月五日組合員椎名フジヱに対し「高瀬のおばさんにも話したが、一応会社はやめて工場は俺の名義でやる。品物は会社が売つてくれることになつている。だからあんたも黙つて俺についてきなさい。悪いことはしない」と言つた。

(7)  会社はこうして九月九日に至り第二回賃上団体交渉に於て「もう賃上げどころではない、近いうちにガラス工場を閉鎖したい」と言い次のような理由を示した。

一、生産と経費のバランスがとれない。

二、運転資金に行き詰りが生じている。

三、将来性がない。

組合はこのような抽象的理由を裏付けるに足る具体的資料の提出を求め、会社は同月一一日団体交渉に於て提出することを約した。組合は翌一〇日工場閉鎖反対の抗議集会を持ち、分会長樋口実を除名した。会社は同月一一日の団体交渉を一二日に延期したが右資料を示さず、同月二一日及び二六日の第四回、第五回の団体交渉に於ても之を示さなかつた。そこで組合と会社は協議の上団体交渉を小委員会に切換えたが同年一〇月一日の小委員会に於て会社ははじめて若干の数字的資料を示した。しかし、組合は納得せず、更にその裏付として会社の計算書類の提示を求めたが会社は之を拒否した。同月五日第二回小委員会でも労使は会社提出の資料をめぐつて激しく対立した。とかくするうち同月九日溶解炉が崩壊して生産はストツプし、同月一〇日団体交渉前の職場集会に於て組合事務局長林田久司が暴力団に襲われて全治二週間の負傷をした。組合員は同月一四日まで作業し、同日より同月二四日まで工場内で就労要求の坐り込みを行つた。その間四回に亘る団体交渉があつたが之は主として右暴力事件の責任追及と工場閉鎖に対する抗議となつた。会社は組合の団結が容易に崩れないと見て、同月二四日の団体交渉に於て遂に翌二五日ガラス工場を閉鎖し、全員を解雇すると宣言し一方的に団体交渉を打ち切つた。

(8)  組合員は当時二四名だつたが、うち二名を除き同月二八日中には全員解雇通告を返上した。会社は解雇予告手当を一一月五日に支払うから受取るよう催告してきたが、申請人等はいずれも之を拒否している。その後右樋口及びガラス工場職長(吹工)川島純義両名は自らはすでに解雇予告手当を受取り従業員としての地位を失い、会社とは無関係になつた筈であるのに、組合員の家庭を戸別訪問し、組合を脱退して解雇予告手当を受取るように勧めて歩き、右川島は四名の組合員の組合に対する脱退届を代筆した。又会社は解雇予告手当を受取つた職人五家庭に対しても社宅からの立退きを全く請求していない。

六、以上のように組合が賃上斗争を組む前まで会社が工場経営に対して示していた意欲、機械等購入の実績及び経営改善努力のなかつたことなどから見て、工場閉鎖が緊急かつ止むを得ない程度に工場が経営不振、財政困難に陥つていたとは到底認められない。数度に亘る団体交渉に於て具体的経理状況の説明が出来ず、組合からの要求に直面して始めてその資料作成にかかつたと認められる点は右の事情を雄弁に証明している。そして工場閉鎖と解雇に至る前述の諸事情によつて会社はガラス工場従業員が組合に加入し、前近代的労働条件の改善を要求して斗いに立ち上つたことを嫌い、組合が御用化しなければ工場を一時閉鎖してでも組合を壊滅しようと企図するに至つたことは推認するに難くない。また工場経営の中心をなす職人層の会社に対する協力が確認され名義を変更してもそれは名目に過ぎず、実質上会社が工場経営に対する支配を継続する見通しが出来たのに対し、前分会長樋口実を抱き込んで行つた組合切崩しが容易に成功しないとみるや、組合組織を壊滅する最後の手段として工場閉鎖と工場作業員の全員解雇を強行し、その後は形の上では製品の販売を担当しつつ実際は職人等非組合員を通じて実質上従前と同一の工場事業を継続することを予定していることも諸般の事情から極めて明らかに認めることができる。従つて本件解雇が各申請人等に対する組合活動を理由とする不利益な差別取扱いであると共に、組合組織及び運営に対する支配介入としてなされた不当労働行為を構成して無効であることは明らかである。故に申請人等はなお会社に対し従業員としての権利を有する地位にある。

七、ところで申請人等は会社から毎月五日前月分の賃金として別紙賃金債権目録記載の各日給にその月の日曜日を除く日数を乗じた金額の支払いをうけてきたものであるが、申請人等が昭和三八年一〇月二五日以降就労してその雇傭契約上の債務を履行し得ないでいるのはもつぱら会社の責めに帰すべき不当労働行為の解雇によるものであるから、申請人等はいずれも同日以降の会社に対する賃金請求権を有するものであるところ、同年一〇月分として前記各日給に同月二七日日曜日を除く六日を乗じた金額、同年一一月以降は右日給にその月の日曜日を除く日数を乗じて得た金額の賃金支払を受くべきであるから別紙賃金債権目録記載の賃金を請求するものである。

八、ところで申請人等はいずれも賃金のみによつて生計を維持しなければならない賃金労働者であるから不当な解雇によつて賃金の支払いを受けられない為に困窮し、日々回復しがたい損害をこうむつている。申請人等は地位確認及び賃金請求の本案訴訟を提起するため準備中であるが、本案判決の確定をまつことはできないので本申請に及ぶ。

九、仮りに会社が株主総会の決議によつて真に工場経営を廃止したとしても、それはあくまで直接組合山田ガラス分会の壊滅を目的としてなされたものである。工場経営廃止は形式的には所有権の作用として会社の自由に属するものではあるが、本件の場合それは右の様な不当労働行為という違法な加害行為の手段に他ならない。ところで所有権をこのように単なる加害行為の手段に利用することは、権利の濫用として許されないので会社の工場経営廃止決議は無効である。そして形式的には不当労働行為を目的とするが故に無効な右工場経営廃止決議の実施として実質的には組合山田ガラス分会の組織壊滅を直接の目的としてなされ、従つて不当労働行為をなす申請人等に対する本件解雇はいずれも無効である。

一〇、又仮りに会社の工場経営廃止決議自体は有効であるとしても申請人等に対する本件解雇は会社が緊急、且止むを得ない程度に工場閉鎖を必要とする経営不振状態に陥つていたわけではないのに、直接組合山田ガラス分会の組織を壊滅しようとしたことを決定的な理由としてなされたものであるから、

(1)  解雇の自由の濫用として無効である。

(2)  不当労働行為として無効である。

一一、工場閉鎖の擬装性は、会社が閉鎖前の工場経営を何らかの形で実質的再開しなければ成立しないというものではない(名古屋地裁昭和二六・一〇・一一決定、尾三鉄工所事件)。工場経営再開の事実があれば擬装性の認定が極めて容易になるというに過ぎない。それは擬装性の認定上の間接事実であつて成立要件ではない。本件の場合会社がガラス製造業を一時休止した後、再開するという意思を完全に失つて工場を閉鎖したのではないことは申請書にのべた閉鎖前後の諸事情によるほか、会社がガラス製品の仕入販売を大規模に行つて閉鎖前の製品販路を確保しているほか、仕入販売しているガラス製品には工場閉鎖前の自己の商標を使用し、会社の特殊技術を要する原料についてはひそかに閉鎖後の工場設備をもつて加工して製造依頼先の他工場に搬入しているなどの事実によつて充分に認めることができる。本件の如き企業の一部閉鎖(即ち石油プロパン仕入販売及びガラス製品の製造販売のうちガラス製造部門を廃止し、製品の仕入に切換えている)に伴う全員解雇が不当労働行為として無効とされるためには元来工場閉鎖の擬装性を必要としない。

と陳述し、申請人等の主張に反する被申請人の主張は否認すると述べた。(疎明省略)

被申請人訴訟代理人は、申請人等の申請は何れも之を却下する。申請費用は申請人等の連帯負担とする旨の判決を求め答弁として、

一、申請の理由一、二、の事実はいずれも認める。

二、同三の主張はすべて否認する。

三、同四の事実について、冒頭の事実は否認する。又、

(1)の事実中、被申請人のガラス工場が約十六年間の沿革を有していること、地元並びに東京方面に販売していたことは認めるが、その余は否認する。

被申請人の製造していたガラス器具は、金魚鉢を主体としているものであるが、金魚鉢はその需要期が夏場に限られているところ、加うるに地元消費量が僅少となつてきた為過剰となつた製品(滞貨)を捌いて生産を維持する為止むを得ない対策として遠隔地で乱売をなしているものである。換言すれば、地元に於て正常価格を割つて販売することは低価格が恒久化するおそれがあるし、さりとて製品をそのまま保有して置くことは資金の回転をとめ、ひいて賃金、燃料、原料代等の経費の支払を不可能ならしめるのみならず、倉庫に之を収容しきれない為(ガラス製品は、価格に比しその体積が嵩張るものである)やむを得ず東京、大阪方面に対し地元価格の約八割で貨車運賃を負担して販路を求めている次第である。尚遠隔の地に対する集金費も当然割高となることをも考慮すれば、これらの地元以外の販売は生産費を割つたダンピングであつて、工場経営上決して好ましいことではないが、生産を維持する為窮余の方策としてなされていたものに過ぎない。被申請人の工場は、終戦直後から昭和二五年頃までは順調な操業を続けてきたものであるが、昭和二七年頃から大都市に於ける大企業による大量生産方式が器具の凡ゆる部門に拡張され、そのため被申請人と同規模乃至その以下の規模によるいわゆる小企業の手工業的町工場は低価格(昭和二四年頃から生産品の販売価格は殆んど上昇せず、むしろ下降している)に苦しみ、倒産相次いで起り、九州に於て終戦直後(昭和二二、二三年頃)総数五九を数えたガラス工場が現在その四分の一以下即ち一四工場に激減し、残存している右各工場も大企業の機械による大量生産の及んでいないガラス器具の製造により辛うじて依存しているが、競争は大企業のみならず小企業間にもダンピングの形となつて現われており殆んどすべての小企業の工場が借入金の増加により倒産の危険に瀕している次第である。

加うるに職工(ガラス吹工)は、新規養成工員の希望者がないため老齢化し、生産力が低下する傾向にある上、ビニール、プラステイツクなどの化学製品がガラス器具に代つて市場に登場し、前記の大企業によるガラス器具の大量生産と相俟つて小企業のガラス工場を内外より圧迫してきている上、賃金、材料等の値上りと売行不振の為、被申請人等小企業ガラス工場の将来は全く見込みがない実状である。

(2)の事実中、中野製瓶所(株式会社であり、又、従業員は事務員を除き約二五名位)が飯塚市にあること、昭和三七年末から昭和三八年初頭に木造より鉄骨(軽量鉄骨)に工場を模様替えしたこと、石炭溶解炉を重油溶解炉に切替えたこと、又北九州市八幡区所在有限会社村上製瓶所(従業員は三〇名位である)が、ガラス製造業を営んでいることを認めるが、その余は否認する。実情は被申請人の調査したところによれば次の通りである。

(イ)  中野製瓶所は、被申請人の工場と略同規模のガラス工場であるが、中小企業金融公庫より長期資金約百万円の借入を受け得たので耐用年数の到達した工場を建替えたものであり、石炭熔解炉を重油に切換えたのは石炭の入手が困難であり、又貯炭をなすに必要な資本がないこと、重油熔解炉は石炭に比し操作が容易である上、溶解炉は重油販売業者が無償貸与してくれ且三ケ月分の重油代を掛売してくれたことによるものである。

(ロ)  村上製瓶所は、注文も生産も従来と同量又はそれ以下で、むしろ売行不振の為製品の売捌が出来ず、倉庫に滞貨が満溢その対策に腐心している状況である。従つて申請人の主張するような「注文が殺到して残業につぐ残業で生産を上げている」などというような好況は全くないのであつて、むしろ一ケ月位は休業補償(労働者に対する)費の捻出ができない為生産を維持しているにすぎない実情である。

(ハ)  以上の通りであるから、右の両工場共経営の内部ではいずれも操業を中止して他に転業したい希望を有している程悪化しているのであるが、借入金返済の途なく転業すべきあてもない為、いずれも惰勢的に現業に執着しているにすぎず、企業を維持するためには弥縫的に工場の建替をしたり、又条件がよいため重油による溶解炉に切替えたりしているので企業の現在及び将来については全く絶望している実情である。

(3)の事実はいずれも認める。しかし乍ら、石炭溶解炉を重油溶解炉に切替えた事情は右(2)の(イ)について述べたところと全く同一の理由によるものであるから之を援用する。又小型トラツク一台を購入したのは、従前使用のものが耐用年数を超え廃車直前の状態にあり、且そのため遠方への運搬に耐えないので、之を集金、連絡等専ら乗用に切換え、他方之に代るべき運搬車は操業を維持している以上必要であり万一の場合転用することもできるので購入したものであり、ガラス仕上摺盤は従来その古い部品があり、参万円程度の費用で製作ができたので一台新規据付けたものにすぎない。従つて、営業継続の熱意を有していたか否かを推知する資料とはなり得ない。

(4)の事実は認める。右規則制定の理由は、熊本市の上田ガラス工場(従業員約一五名以下の最下級の工場)が職工を堤製瓶所より引抜かれた為一単位の操業を継続することが困難となり、その苦境を理事長たる山田堤に訴えてきたので、さなきだに職工の老衰と不足に困つている小企業が互に職工の引抜合戦をなすことはその命運を縮めるのみであるからその防止対策として、かかる規則を作つたものである。なお、右上田工場は朝三時より夕方五時まで操業し(工場主自ら吹工をしている)て辛うじて企業の維持をなし得ているし、引抜いた堤製瓶所自体は昭和三八年八月倒産した。即ち小企業はいずれも競争のため倒産に瀕しており、競争が過剰となつている実情を示している。

(5)被申請人のガラス工場も前記各項に亘つて述べたような苦境にあり、その打解の為遠隔地に対しダンピングをなして販路を求めて滞貨を捌いたり、従業員に対し異例の訓示をなして生産の向上、生産費の低下を策するなどの方法をとつてきたのであるが、燃料革命による石炭産業が衰微した事情と同様町工場の手工業的生産方法はいかにしても之を打解する方策を求め得ること困難な問題である。

四、同五の事実中、申請人等主張の時期に組合の分会ができたこと、賃金手当に関する交渉が妥結したこと、山田社長が工場全従業員に対し訓示をなしたこと、昭和三八年八月三〇日以降賃上交渉が行われたこと、被申請人がガラス工場を閉鎖したい旨を述べその理由として概ね申請人主張の如き実情を説明したことその後前後約二〇回の交渉を重ねた末同年一〇月二四日の交渉に於て同月二五日ガラス工場を閉鎖し全員を解雇することを告知したこと、その後全従業員三二名中申請人等一五名を除き他は退職手当を受取り退職したことを認めその余はすべて否認する。被申請人は後記五項に於て詳細陳述するが結局、

(1)  生産が低下し労働意欲が稀薄となり、生産向上による企業の維持が困難となり、生産費と生産高がバランスを失い損失が増加したこと。

(2)  炉の焼損を修理回復するため金四百万円以上を要するが、その金融を他に求め得ないし、又それだけの資本を投下してもその回収が困難であること。

(3)  企業の将来性が全くないこと。

等により工場を閉鎖したものであつて、企業再開の意図を全く有していない。即ち、工場の各炉を全部撤収し、工場は専ら倉庫となし、現在数名の元事務員、運転手及び社長の家族を以てガラス製品の販売を業としているにすぎない。

五、被申請会社が工場閉鎖した理由について、

(1)  生産が低下し労働者の労働意欲が稀薄となり、生産向上による企業の維持が困難となり、生産費と生産高がバランスを失い損失が増加したこと。

疏乙第二七号(森勝利作成に係る出勤に関する表)にも明らかな通り、従業員の出勤率は昭和三八年七月、八月に至つて嘗てない最悪の状態となつた。加うるに、就労した従業員すらも組合用務(会議、他会社の争議につき「動員」と称して他出することなど)と称し、就労時間中に業務を放棄して職場に復帰しない者が多くなつた為人員の不足を生じ、この為生産が激減した。又、特に炉の加熱状態を監視する火夫に於て右欠勤又は他出が多く、しかも夜間会社の不知の間に他出されるため坩の破損、生地(ガラスの原料)の流出による炉の焼損が日を追うて増加し生産設備のうち最も重要な坩、炉の状態が悪化した。

右のような事態は会社としては放置することのできない問題であるので、機会ある毎に組合に対しその是正協力を求めたが、組合は生産の低下は会社の責任であつて生産の維持向上について組合は協力することはできない。組合用務の為人員不足を生ずるということであるならば、会社は平素からいかなる事態でも対応できる人員を雇傭しておくべきであると称して一向に右のような会社の要望を聴き入れようとしなかつた。昭和三八年六月以降生産が低下する一方諸経費は増加し同年八月には一ケ月間に五拾九万七千円の損失を見るに至つた。このような出勤率や生産高と経費のアンバランスは会社に於て空前のでき事であり、しかも右のような状態が将来に於ても継続するということになるならば、会社が工場経営を断念し、損失を之以上重ねまいと決意することは止むを得ない措置といわねばならない。

(2)  炉の焼損を修理回復するため金四百万円以上を要するが、その金融を他に求め得ないし、又それだけの資本を投下してもその回収が困難である。

会社は昭和三八年一月従来の溶解炉を重油炉に切替え改築した。しかし乍ら右炉は坩の相継ぐ破損によつて焼損し、工場生産を再開するためには改築しなければならない状態となつた。之がために要する費用は少くとも金百万円以上の費用と多額の人件費を計上しなければならず、他方冬場を乗りこすためのつなぎ資金(従来夏場に備蓄していた在庫品を売却しながら冬場を越していたものであるが、右のような生産減のため在庫品はなくなつていたので昭和三八年冬期には、賃金原料費の数ケ月分を一時他より借入するより方法がない)を銀行等より融通をうけなければならないが、右合計金約四百万円の借入は、当時の会社の状態に於ては不可能であつた。又仮りに右借入に成功したとしても、前記のような就労状態では約二ケ年間は維持し得べき炉を再び数ケ月を経たずして焼損して了うこと明白であり、又当時のような損失を招くばかりのような状況ではその返済ができなくなること必至である。かくては、徒らに築炉費、つなぎ資金の回収は到底望み薄であり、かかる尨大な資本を投下することは会社経営者としては許されないところであるといわねばならない。

(3)  企業の将来性が全くないこと。

手工業的、小規模生産を営む会社硝子工場の将来性のないことについては、既に詳細陳述したところである。外は大企業の大規模な機械生産により逼迫され、又、代用品の進出により販売に隘路を生じ、同種町工場のダンピングとガラス製品の価額の逐年低下の傾向に逢つて内は賃金その他の経費の増加の傾向、職人の老齢化(特に昭和四〇年以降職人の生産力は老齢化によつて急速に低下するものと見られるが、新規に職人を志望する青少年は全く現われてこない)による生産量の低下があり、会社はガラス工場の将来について全く期待がもてない。従つて現在の急場を乗り超えるために之以上の無理な経営を持続することはできない。

六、工場閉鎖に至るまでの経緯。

右については被申請人に於て詳細を明らかにした疏明書類を提出しているので参照せられたい。会社は組合に対し団交中、生産の維持(向上についての協力よりはむしろ維持に重点をおき)につき協力を求めたが、生産は会社の責任に於てなすべきであり、組合は之に協力することはできないと拒否され、数字によつて説明をなし会社の工場経営の内容を納得諒解せしめようとすると、帳簿、伝票に至るまで一切を公開せよと迫るので、小委員会によつて会社、組合協議によつて選定した計理士によつて会社の示した数字の正確であるか否かを検査させることを提案したが之も拒否された。しかも、組合は会社の提示する資料を検討せず単に信用できないとして会社の説明に対し殆んど一顧の努力もしない。止むなく組合に於て工場の再建、維持について提案があるならば示してもらいたいと要望しても、そのような計画は組合の関知することではない、単に企業閉鎖に反対であるとのみ答えるのみで団交は全く進展しなかつた。従つて会社としては組合の諒解を求めるための努力は充分に実行したのであるが、遂に決裂に至つたものである。

七、偽装閉鎖の主張について、

以上述べた企業の維持が不可能となつた各種の実情を勘考せられるならば会社が工場を閉鎖することに踏切らざるを得なかつたことが理解されるであろう。(会社は閉鎖後従来の山田ガラスに対する信用を利して他の町工場より製品を買入れ、販売利益をあげてきたが、これとても買入先工場の出血によつて維持されてきたものであるから到底永続できるものではない「昭和三九年一杯で販売を打切る予定である」又、工場の炉は予想していたところであるが現在耐火煉瓦にソーダを析出し、全く使用に耐えない瓦礫と化している。従つて炉を未だ使用に耐えるとなす証人の供述は虚構にすぎない。)

申請人等は判例を挙げて本件の工場閉鎖を云為するが、本件の場合の如く真に閉鎖理由を備えている場合に於ては全く当らざる所論といわざるを得ない。

以上の通りであるから、申請人等の本件申請は全く理由がないと陳述した。(疎明省略)

理由

第一、当事者間に争のない事実。

被申請人会社がガラス器具の製造販売、石油及びプロパンガスの販売を業とする株式会社で、昭和三八年一〇月一四日その営業目的中「ガラス器具の製造販売」を「ガラス器具の仕入販売」に変更し、今日に至り、同会社はガラス器具製造工場及びプロパンガス販売部を有し、その地続きの一円及び直方市貴船町に各一個のガソリンスタンドの施設を有し、申請人等が何れも右会社の従業員で各申請人等が申請人主張の職務地位を有し、いずれも直鞍地区一般合同労働組合の組合員であり、且、同組合山田ガラス分会に所属していること。被申請人会社が昭和三八年一〇月二五日付で右ガラス器具製造工場を閉鎖すると称して同工場勤務の事務系統及び自動車運転手を除く全従業員三二名(うち当時組合員二四名)を解雇し、内容証明郵便で同月二七、八日頃各従業員にその旨通知したこと。被申請人会社のガラス工場が約一六年間の沿革を有し地元並びに東京方面にその製品を販売していたこと、申請人主張の中野製瓶所が飯塚市にあり、昭和三七年末から同三八年初頭に木造より鉄骨(軽量鉄骨)に工場を模様替えしたこと。有限会社村上製瓶所がガラス製造業を営んでいること、被申請人会社が昭和三八年二月従来の石炭溶解炉を廃止して重油溶解炉を採用したこと、同年五月ガラス製品運搬用小型トラツク一台、同年六月ガラス仕上摺機一台を新規購入したこと、被申請人会社代表者は西日本ガラス工業会総会に於て、同会理事長として従業員引抜防止の為の規則を提案制定したこと。申請人主張の時期に組合の分会が出来たこと、昭和三八年七月二六日賃上交渉が妥結したこと、山田社長が工場全従業員に訓示をなしたこと、昭和三八年八月以降賃上交渉が行われたことは何れも当事者間に争いはない。

第二、本件解雇に至る迄の経過。

当事者間成立に争いのない甲第二号証、第三号証、第四号証、第五号証、第六号証、第九号証、第十号証、第十一号証、第十二号証、第十三号証、乙第八号証と証人林田久司の証言、申請人本人伊藤静雄、椎名フジエ、高瀬アキヨの各尋問の結果と乙第四号証、第二十三号証の各一部(後記措信しない部分を除く)証人森勝利、山田幾則の各証言の一部(後記措信しない部分を除く)を綜合すると次の事実が疏明される。

一、被申請人会社(以下単に会社と略称する)は、昭和三四年六月頃当時の同社勤務の職人樋口実等が労働組合を結成しようとして、労政事務所に組合結成届出の事で行つたところ、その事が会社の知るところとなり、当時の職長松村某を通じて樋口等に対しその非を責め、他の者も会社々長に呼ばれ、女工は社長の妻に呼ばれ叱責されて右組合結成の企図瓦解に帰し、会社側の慫慂により右組合結成にかえて共栄会制度の創設が提唱されて右制度により職員の金融上の便宜を与えると共に職員相互の互助機関として発足するに至つたが、昭和三八年五月一八日直鞍合同労働組合山田ガラス分会が結成されると同時に、本制度は解散されるに至り、又申請人高瀬アキヨ親子が被申請人会社に雇傭される際も社長から「組合を作つたりしたら、馘首する」と言うなど、会社は従前から組合結成を抑制する傾向にあつた。

二、昭和三八年五月一八日直鞍地区合同労働組合山田ガラス分会(以下山田ガラス分会と略称する)が結成され、その当日申請人等が組合加入の勧誘を受けている際、社長の息、山田幾則は申請人等に対し大声で組合に加入する必要はない。加入したくない者は加入しなくてもよいなどと申し向けていたこともあり、又組合結成迄は、従業員と社長、息子幾則及びその妻達との感情の阻隔もなく極めて自然な交際がなされていたのが、結成後は俄かに組合員に対する感情が一変し、組合員に対し些細な事で嫌味を言う様になり、この事で社長親子に対しても、組合員に対する妻達の前説示のような態度を改める様にと忠告しても依然としてその態度はかわらず、次第に組合員と同女達並びに非組合員との感情が対立的となり、その結果は双方とも感情に駆られて昭和三八年六月五日頃は申請人神代健太朗と社長の妻との間に暴行事件を惹起し、この事で右神代と山田幾則及び非組合員堀江忠臣との間にも口論が交わされ感情的阻隔は次第に比重を加えるに至つた。

三、ついで同年六月二三日頃被申請人会社社長の親戚に当る藤井藤八が、当時の組合長樋口実及び神代健太朗方を訪れ、同人等に対し「お前達はなぜ組合を作つたのか、組合を作るのであれば企業内の組合を作れ、三権を持たないような組合が何になるか、お前達もやるならやつて見よ、この家に居られんようにしてやる」趣旨のことを申し向け、又同月二四日頃は申請人伊藤静雄方に同人が被申請人会社に入社する当時の身元保証人で山田幾則の学友である和田豊勝が訪れ「昨日山田幾則が来て、何んとか伊藤にやめるようにお前から言うてくれ」と言われて来たと言うて、伊藤に組合運動から身を引くように忠告したが、伊藤がこれに応じなかつた。

四、社長は同年八月二一日頃、従業員一同を集めて「会社は赤字だから閉鎖しようと思つていたが、樋口さんが一生懸命何んべんも言うて来とるから今迄通りしていく。だから皆一生懸命働いてくれ、今この中で一生懸命働いてくれる者は一人か二人しか居らぬ」と言う趣旨の社長訓示をなし、これより先の八月一七、八日頃は、組合長樋口実は組合婦人部長の椎名フジヱに対し「賃金交渉について賃金が上つても下つても同じだ、上がれば生活保護の金が少くなる、下がれば多くなる、中央委員会や執行委員会には行かんでいい、俺は行かない」と申し向け、又同年九月五、六日頃は申請人高瀬アキヨに対し「会社は之から自分名義でやつて行く、出来た製品は会社で売りさばいて貰うことになつている、俺が社長に職人さんは皆協力してくれると言うたら、社長は女のものがついてくる者がいるな」と言うから「ついてくる女の人はいる」と言うと社長は「そんならいいたい、貴女達は川島と俺の口添えで会社に入つとるんじやから俺に任しときない」と説得し、同女の息の組合員高瀬欣市にもその翌日「ばあちやんに言うたことは内密にして人に話さんでくれ」と頼んだ事実があり、前記藤井藤八、和田豊勝、樋口実等の一連の行動は前説示のような時間的な経緯から社長乃至その息子幾則等と相通じて組合運動の切り崩しを企図したものと推認せざるを得ない。

五、山田ガラス分会が昭和三八年五月一八日結成された後、同分会は同月二一日から六月一五日迄被申請人会社との間に有給休暇、生理休暇、時間外割増賃銀等についての団体交渉をなし、ついで六月二六日頃前記三、記載の藤井藤八の行動を非難する趣旨で不当労働行為抗議集会を開催して半日ストを決行し、ついで同月二八日頃から夏期期末手当獲得の為の団体交渉を開始し、組合員一人当り金参万五千円の支払を要求し、爾来七月五日、七月一〇日三回位の交渉を重ねたが、妥結するに至らず遂に七月一三日にストライキ決行の通告をなし、同月一五日は二四時間ストライキを決行し、ついで一八日、一九日ストライキを継続し、七月二二日に団体交渉を再開、二六日未明に至り漸く一人当り金六千五百円を以つて妥結するに至つた。然し組合が結成されて以来、一部の組合員は組合用務の為他出する機会も多くなり又有給休暇制実施により休暇を取る職員も多くなり、加うるに前説示のようなストライキの決行等により平均稼働日数の減少、火夫の人手不足による炉の管理の不充分、炉の施設工事の技術的欠陥、作業能率の低下等も手伝つて七月から八月にかけて急に生産高が減少し、企業の将来に暗影を投じた為、社長は八月二一日全従業員に対し前記四記載の如き訓示をなすに至つたが、組合は右訓示は労働強化につながるものであるとして之を非難し、八月三〇日後日に譲つていた賃金増額の団体交渉を開始し、その席上会社側から会社に協力するなら賃上げする。協力しなければ賃上げ出来ないとの趣旨の申入れがあり、これに対し組合側は会社の言う協力は労働強化を意味することになるのでこの意味で協力することは出来ないと応酬を繰返し何等の進展を見ないで次の団体交渉日を九月九日と決定した。会社側は九月九日の団体交渉に於て、突如社長から(1)生産と経費のバランスがとれない。(2)運転資金に行き詰りが生じている。(3)硝子業界の将来に対する見とおしが暗く将来性がないと言う三点を理由に、工場閉鎖の申出があり、よつて翌一〇日組合は工場閉鎖反対の抗議集会を開催、九月一一日山田ガラス分会長樋口実に対し組合除名の通告をなし、九月一二日以降工場閉鎖についての団交を続け、その間会社から組合に対しては適当な再建案があれば考えようと言うて、再建案の提出を求めた。よつて組合は再建案を検討するについての一切の資料の提供を求めたが、会社側は組合の要求通りの一切の資料提供には応ぜられないとして、これを拒否した為資料提出の方法について意見対立し、結局組合側に於ても資料不足の理由にて適当なる再建案を提出しないまま悶着を繰返している内、一〇月九日に石油溶解炉が崩潰するに至り、一〇月一二日の団交に於て会社側は同月一五日から工場を閉鎖したいから了解を求むる旨の意思表示をなし、組合は右申し出を拒否し同月一五日から組合員は工場内に座り込み団体交渉を求め一七日、一九日、二四日と工場閉鎖問題についての団体交渉を続け、二四日の交渉に於て会社側は明二五日を以つて全員解雇する旨の意思表示をなし、翌二五日解雇通告書を配達証明並びに内容証明付速達便を以つて全員に郵送し、解雇予告手当は一一月五日に支給するについてその受領を催告したが、申請人等は全部これが受領を拒否し現在に至つている。

右認定に反する乙第十四号証(前記採用部分を部く)、第十五号証、第十八号証、第十九号証、第二十二号証(前記採用の部分を除く)、証人森勝利、山田幾則の各証言の一部(前記採用の部分は何れも除く)は措信出来ない。

第三、本件解雇は山田ガラス分会の壊滅を目的としてなされた不当労働行為であるか否かについて。

申請人等は本件解雇は山田ガラス分会の壊滅を目的としてなされたものであると主張し、被申請人はそうではなくて生産と経費のバランスがとれず、運転資金に行き詰りを生じ且、企業の将来性がなく硝子製造を継続することは益々損失を増大し企業の維持を不可能にすると言う経営上の理由から止むを得ず解雇するに至つたものであると抗争するについて、会社が経営上緊急に工場閉鎖をしなければならぬ止むを得ない状況にあつたか否かについて検討するに、当事者間成立に争いのない乙第二号証、第三号証、第四号証、第八号証、第九号証、第二十三号証乃至第二十七号証、第二十九号証、第三十一号証と証人森勝利の証言、及び申請人神代健太朗の尋問の結果の一部を綜合すると、会社の硝子製造は昭和三五年度迄は比較的順調な経営が維持されていたが、同三六年度約百万円余りの欠損となり同三七年度は逆転して四千参百拾八円の利益を挙げるに至り漸く黒字採算線を維持するを得た状況で、同三八年度を迎え生産高は同年四月の弐百拾六万参千円を最高として順次低下し、三七年五月と三八年五月の生産高はほぼ同額であつたこと、売上高は三八年四月の弐百六拾壱万壱千円を最高とし、順次低下し三八年度の四、五月分は三七年度のそれを上廻り、六月以降低下して、同三八年五月一八日山田ガラス分会が結成されて以降、組合員の一部は組合用務の為に他出することが多くなり、休暇をとる者、早退する者も次第に多くなると共に、ストライキの決行等により月当り平均の稼働日数も漸減し、又火夫が組合用務の為しばしば他出する為充分な能率を発揮し得ず、生地流出による炉の破損、坩の割れが炉の施設工事の技術的欠陥も手伝い次第に増加し、その為六、七、八月は生産高売上高の減少が著しくなり、三八年四月一日から同年九月三〇日迄の間の仮り損益計算によれば、損失額として八拾六万円余りが計上されるに至つた事実が疏明される。会社が本件解雇をなすに至つた理由は、短期間にこのような損失を生じたことに、加うるに金融の措置が講ぜられなくなり企業の将来性がないと謂うことであるが、これ等の理由が真実本件解雇をなすに至つた決定的原因であつたか否かを検討するに、

(一)  先づ被申請人会社は硝子製造企業は将来性がないと主張して近年大企業組織が小企業を圧迫し、加うるにビニール、プラステイツク等の化学製品がガラス器具に代つて市場に登場し、販売面に於て隘路を生じ、賃金材料等の値上りと売行不振の事実を指摘しているが、乙第三十一号証、乙第三号証による昭和三五年度以降の各年度別の売上高は漸次上昇し、昭和三八年度四月一日以降九月三〇日迄の六ケ月間の売上高は前年度一年間分の売上高の1/2以上を算している。尤も昭和三八年四月以降八月迄の売上高の月別額は五月以降下降していることは前認定の通りであるが、この事は前年度に於ても同様な低下を来して居り、特に売上高の減少を以つて工場閉鎖の緊急の必要性の理由となすことはできない。又化学製品等の代用品の登場が売上高の増減に如何なる具体的影響を受けているかについては、何等の疏明資料なく、従つてこの事は又工場閉鎖の緊急の必要性の理由とはなし得ない。

(二)  次に被申請人会社は生産と諸経費のバランスがとれないことを以つて工場閉鎖の最も重要なる理由として主張し、その資料として乙第三十一号証、第二十九号証、第二十七号証、第二号証、第三号証、第八号証、第二十四号証、第二十五号証を提出し、昭和三八年四月以降九月三〇日迄の仮決算により約八拾六万円余りの損失額を生じ、更に同年四月以降三九年三月迄の一年決算に於て参百弐拾壱万円余りの損失を生じたことを一応疏明している。然し苟くも、一六年余り継続して来た企業を閉鎖することは経営者にとつては死活を制する致命的な事であり、工場閉鎖に踏み切る事はそれが経理面の不振からの理由による場合は、その損失を生じた原因を探究して、これが一時的のものであるか、又は恒常的性格を有し直ちに工場閉鎖に踏み切らねば経営上回復することのできない事態に立ち至る緊急のものであるか否かを決算諸表について充分の検討をなすは勿論、過去の経営の実跡を勘案し、会社債権者からの債務金の請求の状況、債務者の会社に対する債務の弁済の状況、閉鎖後の従業員に対する処遇等あらゆる面について慎重の考慮を払い、万策尽きて止むを得ない場合に工場閉鎖に踏み切ることが常識ある経営者の道である。そこで本件について之を見るに、先づ乙第三号証によると既に前認定の如く、昭和三八年度四月から九月迄の六ケ月間に於て損失金八拾六万円余りを計上しているが、右金員算出の基礎となつている年度別硝子製造損益計算と石油販売損益計算の各費目の数額とを比較し、仔細に検討すると、公課費、給料費、修繕費、利子割引費、減価償却費中には本来石油販売部門に計上さるべき額が硝子製造部門に計上されて居り、その額は公課費、給料費、利子割引費のみでも合計約六拾万円近くを算し、更に修繕費、減価償却費、貸倒準備金等についても修正を要すべきものがあり、これ等を合算すると殆んど損失額八拾六万円の大部分は差引零に近い計算になることは証人森勝利の第一、二回の口頭弁論に於ける証言の一部により推認することができる。のみならず昭和三八年四月以降三九年三月迄の一年間に於ける決算に於て参百弐拾壱万円余りの損失額を計上されている(乙第二五号証)が、乙第二十五号証と証人森勝利の証言によると、被申請人会社が従業員等を全員解雇した後の昭和三八年一一月から三九年三月迄に於ける定款変更後の五ケ月間の硝子の仕入販売による損失は百四拾弐万六千円を算して居り、昭和三八年四月から一〇月迄七ケ月間の損失として百拾九万七千円を計上しているが、後者の百拾九万七千円の内の八拾六万千百八拾九円の大部分は前認定の如く損失は零に近い計算に帰することとなり、その余の残額は解雇の際支払つた解雇予告手当であり、解雇しなければ当然発生しなかつた損失である。尚百拾九万円の損失の外に年度末に計上さるべき評価損が約六拾万円位計上されて居り、その中には乙第二十五号証によれば溶解炉等の破壊による機械設備勘定評価損額が金五拾壱万円余含まれて居り、これは当該期の特別事情によるものであり、通常はこれ等の評価損益は大体年間平均して一定の額を消却するものであるから、当該期の評価損勘定の増額したことを以つて直ちに企業閉鎖に踏み切らねばならぬ程経理状況が悪化したものと解することはできない。

従つて被申請人主張の昭和三八年五月以降同年九月迄の間に損失額が激増したと言う主張は、これを仔細に検討すると前認定のような事情から同期間の損失額は大巾に訂正されるべきである。前年度に比較して損益計算表上に於て右期間中の損失額が増加した原因は、同年五月俄かに山田ガラス分会が結成されて以来、組合用務の為しばしば職場を離れる者、有給休暇制実施の為之を利用する者が増加し、或は組合員と会社幹部の間に労資対抗意識が高まり、延いては非組合員と組合員との間に於ても、次第に感情的に対立するに至り、職場内の融和が破られ職員相互の一致協力の精神が薄らぎ、更にストライキの決行、抗議集会の開催等幾多の原因により稼働日数の減少、労働意欲の低下を来し、これが生産高の減少に影響を及ぼすに至つた事実、並びにストライキの決行による賃金並びに夏期期末手当の増額等により急に労務費の増加するに至り決算表の損失額の増加した事実は何れも被申請人の疏明により認められるところではあるが、然しながらこのような賃金、期末手当の増額並びに組合活動の活溌化による稼働日数の或る程度の減少は労働組合の結成の結果、その過渡期に於ける一時的な現象として通常あり勝ちなことであり、又被申請人主張の坩炉の状態の悪化も、或る程度は火夫の組合用務の為他出すること多く、これが影響していることも否めない事実ではあるけれども、又一面炉の設備工事の技術的欠陥にその原因のあることも既に前認定の通りであるから被申請人会社としても、炉の崩壊を自然の成り行きに任せず昭和三八年六、七月頃早期に修理する等の措置を講じ生産高の減少を防止するように努むれば坩の割れ、生地の流出による被害も相当減少し、損失額の計上も少額に止め得た筈である。炉の調子の如何が生産の増減に重大なる影響を及ぼすことは証人森勝利の証言によつても明らかである。のみならず被申請人会社は昭和三八年四月から同年九月迄八拾六万円余りの莫大な損失額を生じたとしてこれは生産と経費のバランスがとれないのが原因であるとして定款を「硝子器具の製造並びに販売」を「硝子器具の仕入並びに販売」に変更して工場閉鎖、ひいては本件解雇に及びながら、同三八年一一月からは硝子器具の仕入販売業務を続けてその結果は同年一一月から翌三九年三月迄の五ケ月間に於て更に前六ケ月間の損失額をはるかに上廻る百四拾弐万円余の損失を計上しながら硝子部門の営業を継続していることは前認定の通りであつて、被申請人会社に於て経理上の必要上真に硝子製造を緊急に中止しなければならないような会社の存亡の時期に立ち至つて居るとするなら、更に僅か五ケ月間に百四拾弐万円余の損失を招くような危険な営業を開始するの愚を敢てすることは会社経営者としては考え得られないところである。しかも証人森勝利の証言によれば、右仕入販売営業も昭和三九年を以つて社長はやめると言うている旨証言して居り、一方では多数の従業員を解雇してガラス製造を廃止しながら、他方では更により以上の損失を招く危険性のあるような営業を継続しようとすること自体本件解雇が経理上真に止むを得ない緊急な理由からでないことを推認し得られるのである。当事者間成立に争いのない乙第三号証によると硝子部門に於て、昭和二五年以降同三六年度迄の間に於ても、同二六、七、八年度、三〇年度、三六年度に於ては何れも赤字決算でありその場合に於ても昭和二七年度以降に於ては石油販売事業がそのつつかい棒になつていたことは証人山田幾則の証言により認められるところであり、殊に石油販売部門は昭和三六年以降非常に好況を呈して居り従つて硝子製造部門に於て前認定のような一時的特別の事情によつて赤字計算となつたとしても、石油販売部門は昭和三八年四月から九月迄に百万円余りの利益を挙げて居り、三八年四月から三九年三月迄に於ては二百三十万円の利益を挙げている(乙第二十六号証)のであるから、従来の如く同部門がつつかい棒となり一時緊急的に資金措置を講ずることにより工場閉鎖の措置乃至本件解雇を避け得られたことが推認できる。然るにこの措置に出でず直ちに本件解雇に及んだことからも右解雇が緊急止むを得ない経営上の理由からでないことが窺われる。

(三)  本件解雇に至る迄の間に会社債権者から債務の弁済の請求を受け、これが為に資金的に行き詰りを生じ止むを得ず工場閉鎖に踏み切るに至つたような状況は本件記録上全然発見できない。

(四)  被申請人は運転資金に行き詰りを生じたことが本件解雇の重要なる原因であると主張し炉の修理その他の冬場のつなぎ資金等合計四百万円の金融の措置ができなくなつたとの理由を挙げて昭和三八年一〇月から三九年一月迄の売上高総計を弐百万円と予定していることは乙第三十一号証により明らかであるが、乙第三号証によると昭和三七年四月から同三八年三月迄の売上高は千八百七拾五万参千九百拾弐円、同三八年四月から同年九月迄の売上高は九百四拾参万千百参拾四円となつて居り、後者の六ケ月分の売上高は既に前者一年分の売上高の二分の一以上に達して居り又乙第三十一号証によると昭和三七年四月から八月迄の売上高は八百七拾八万九千円、同三八年四月から同年八月迄の売上高は八百九拾壱万円となつて居り、従つて昭和三七年九月から昭和三八年三月迄の七ケ月間の売上高は算数上九百九拾六万千円となり右期間に於ける一ケ月売上高平均は百四拾弐万円余りとなる。しかるに被申請人の昭和三八年一〇月から昭和三九年一月迄の売上予想額は僅かに月平均五拾万円としている。然し昭和三八年四月以降八月迄の売上高は既に前年度の同期間の売上高より増加しているのであるから昭和三九年一〇月以降の売上高一月平均額が被申請人の予想の如く前年度の三分の一近く迄減少するとは到底考えられず、売上高を甚だ過少に認定してその前提の下に冬場つなぎ資金の不足を訴えている被申請人の主張は採用できない。炉の焼損を修理回復する為金四百万円以上を要すると主張しているが、昭和三八年一〇月から同三九年一月迄に緊急になさねばならぬ築炉費用は乙第三十一号証により溶解炉築炉用として金八拾五万円を計上して居るだけでありこれを以つて当面の資金は充分であり、特に被申請人の主張する尨大な運転資金の不足は昭和三八年四月から同年九月迄の仮決算による損失額八拾六万円余りを計上したことを前提としての主張であるが、その仮決算の正常なる評価に基くものでないことは前認定の通りであるのみならず本件解雇後も昭和三九年三月迄に僅か五ケ月間に百四拾弐万円の損失を招いたのに、その後も右営業を依然として継続している点から考えても被申請人の運転資金の行詰りが本件解雇の原因であるとなす主張はたやすく信用できない。

(五)  本件解雇は会社経営上止むを得ない緊急の必要に出でたものでないことは前認定の通りであるが、そこで本件解雇の決定的原因について審究するに、

(1)  前叙第二の本件解雇に至る迄の経過に於て詳述した如く被申請人会社々長は、山田ガラス分会が結成される以前から労働組合の結成されることを痛く嫌悪し、これが防止に努めていたこと、同分会結成後はこれが為組合員と会社幹部並びにその家族との間の関係迄感情的に対立するようになり、昭和三八年六月頃から組合活動が次第に活溌化するに伴い藤井藤八、和田豊勝、樋口実等を通じて組合の支配介入を企図するなど組合幹部の懐柔策を打ち出し、一方同年五月二一日からの組合との団体交渉が開始されて以来、六、七回の団交、ついで、六月二六日の半日スト、六月二八日以降夏期期末手当の団交、七月一五、一八、一九日の二四時間スト突入等により、同月二六日遂に右夏期期末手当交渉は妥結するに至り組合運動が益々熾烈を加うるに至つたこと、八月二一日社長から従業員の奮起を促す訓示をなし、従業員の訓示の趣旨に対する協力、不協力の態度如何によつては工場閉鎖の意思あることを暗示し、ついで八月三〇日の賃上団体交渉が開始されその席上で、会社に協力するなら賃上げする、協力しなければ賃上げはできない趣旨の申入をなし、これに対し組合側に於て、労働強化につながる協力はなし得ない趣旨の応答をなし次回の九月九日の団交に於ては突如として工場閉鎖の申出をなして実質的に賃上げ交渉を拒否するの挙に出で、爾来工場閉鎖についての団交が一〇回余り続けられその間組合に対し再建案の提案を求め会社の納得のゆく再建案であれば再建に応ずる旨の意思あることを明らかにし且、ガラス製造工場閉鎖の緊急性を強調しながら、組合に対しその再建案検討の資料として乙第三十一号証を提出説明したのみにて、その重要な勘定科目の計上数字の基礎資料等組合の再建案の検討に必要な充分の経理資料を提供することを拒絶し、以て結局組合側が適当な会社再建案を作成することを実質的に拒否すると同様な態度に出で組合の再建案の作成を不可能にさせ、ついで一〇月二四日明日を以て全従業員を解雇する旨の意思表示をなし一〇月二五日解雇するに至つたものである。

(2)  本件解雇迄の間に被申請人会社に於ては従業員に対し任意退職者の募集を提案し、或は定款変更のガラス器具類の仕入販売の営業部門、又は石油販売部門にも、出来得る限りの人員配置を考慮し、以て失業者の減少に努め、止むを得ず解雇する者に対しては、適当な退職条件による生活苦を幾分なりとも薄らぐよう配慮することが最も好ましいことであるのにかかわらず、このような措置は一顧だにせず法定の解雇予告手当の支給のみを予定して直ちに解雇に及んだものである。

(3)  昭和三七年からの景気調整下に於ける我国に於て、一般企業がその影響を受け一時的に売上の減少、収益力低下減益を計上する会社の多いことは顕著な事実であつて、被申請人会社の収益の減少もこのような一時的の影響を受けている点も大であることを看過するわけにゆかず、組合結成による従業員の就労状態の悪化のみが減益の原因と解することは相当でないのみならず、第二項以下に縷々説示した理由並び組合結成前から本件解雇に至る迄の経緯から考察すれば、被申請人の経理状況が或る程度悪化したことは認められるけれども、それは工場閉鎖の一因となつているに止まり本件解雇の決定的原因は山田ガラス分会の壊滅を主たる目的としてなされたものであると断ぜざるを得ない。本件解雇に於ては組合員以外の者も同時に解雇しているので組合員のみ差別扱いをしたものではないとの主張も一応表面上は考えられないわけではないが、大多数が組合員であり組合員のみを解雇することになれば不当労働行為たること疑の余地なく明瞭となるのでこの点をカムフラージユする為の意図に出でたものであることはたやすく推認し得られる。従つてこのことは本件解雇の決定的原因が前説示の如くであることを認定するについての妨げとはならない。さすれば、本件解雇は労働組合法第七条第一号に該当し無効と解すべきで申請人等と被申請人間の雇傭契約は尚存続しているものと解すべきである。

第四、仮処分の必要性。

申請人等は被申請人会社から支給される賃金によつて生計を維持している労務者であつて、本案判決に至る迄解雇者として取扱われ賃金を受領することが出来ないとすれば、生活の困窮は益々増大し、回復することのできない著しい損害を蒙ることが推認できるので、本案判決に至る迄申請人等の地位保全及び賃金支払を求むる仮処分をなす必要がある。

よつて本件申請は爾余の争点について判断する迄もなく正当として之を認容し、申請費用について民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 新穂豊)

(別紙債権目録省略)

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